【第2回】「入金力」と「持ち続ける覚悟」|普通の会社員が資産を増やせた理由

【第2回】入金力と持ち続ける覚悟 投資の考え方

普通のサラリーマン投資家が「億」にたどり着くまで

今では億単位の資産を株式市場で運用していますが、最初から大きなお金を動かしていたわけではありません。

私が株式投資を始めたのは、25歳くらいの頃だったと思います。

ちょうど、株式投資の世界にもインターネットという大きな変化が起き始めていました。それまで証券会社の店頭や電話で注文するのが当たり前だった株が、自宅のパソコンから買える時代になったのです。

私は当時のイー・トレード証券、現在のSBI証券に口座を開きました。

そして、生まれて初めて買った株が三菱重工業でした。

当時は今と違って売買単位が1,000株。投資した金額は、確か30万円台だったと記憶しています。

なぜ三菱重工だったのか。

今振り返ってみると、理由は驚くほど単純でした。

「三菱という財閥系の会社なら、まず倒産することはないだろう」

そして、

「重電・重工業の分野では日本を代表する会社だろう」

その程度です。

今のように決算資料を細かく読み込んだり、PERやROE、キャッシュフローを比較したりして選んだわけではありません。チャートを見て、上がったものが下がってきていて、底を打ったような感じがして、感覚的に買ってみたのが初めの取引です。

ただ、投資を始めたばかりの自分なりに、よく分からない会社ではなく、日本を代表する企業の株を持ちたいと思ったのでしょう。

初めて知った「自分のお金が動く怖さ」

ところが、実際に株を買ってみると、それまで想像していなかった感覚がありました。

株価が少し動くだけで、自分のお金が何千円、何万円と増減します。最初は、5千円値が下がる方向に動いただけでショックでした。

それまで給料として汗水流して稼いできたお金が、パソコンの画面の中で毎日動いていく。

これが、思いのほか怖かった。

当時の日本はデフレと景気低迷の時代です。

現在のように株価が長期的に上昇していくという感覚も、少なくとも私にはありませんでした。

株を買ったものの、

「下がったらどうしよう」

という気持ちの方が強かったように思います。

今では何十年も株を保有することがありますが、最初からそんな投資ができたわけではありません。

当時は、

「2割くらい上がったら利益を確定した方がいい」

という考え方をよく耳にしました。

私もそれにならって、三菱重工の株が2割ほど上昇したところで売却しました。

利益額としては、それほど大きなものではありません。

それでも、銀行にお金を預けていてもほとんど利息が付かない時代に、自分のお金を株に投じたことで、お小遣い程度とはいえ利益が生まれた。

これは嬉しかった。

おそらく、この最初の成功体験がなければ、その後これほど長く株式投資を続けていなかったかもしれません。

もっとも、この頃の私はまだ知りませんでした。

株式投資で資産を大きくしていくうえで、本当に重要だったのは、2割上がったところで上手に売ることではなかったということを。

「いい会社が安くなったら買う」を繰り返す

最初の三菱重工で利益を得てからも、しばらく私の投資方法は似たようなものでした。

チャートを眺めながら、

「この会社はいい会社なのに、ずいぶん株価が下がっているな」

「そろそろ下げ止まったのではないか」

と思えるような銘柄を探す。

そして買うのは、できるだけ名前を知っている大手企業です。

今振り返れば、企業価値を精緻に分析していたわけではありません。

それでも、「よく分からない会社には手を出さない」「簡単には倒産しそうにない会社を買う」という考えだけは、当時から持っていました。

株価が少し上がれば売却する。

利益が出ているうちに確定してしまう。

大きく儲けることよりも、「せっかく得た利益をなくしたくない」という気持ちの方が強かったのだと思います。

今の私とは、かなり違う投資です。

ボーナスはほとんど証券口座へ

一方で、投資に回すお金は少しずつ増えていきました。

当時は銀行にお金を預けていても、ほとんど金利がつきません。

それならば、当面使う予定のないお金を銀行口座に置いておくより、株式にした方がいいのではないか。

そう考えるようになり、余剰資金は次々と証券口座に移していきました。

特にボーナスです。

ボーナスをもらうと、ほとんどそのまま証券口座に入れる。

そうしているうちに、一銘柄しか買えなかった頃とは違って、複数の会社の株を持てるようになっていきました。

買ったのは、やはり大手企業が中心です。

銀行株。

そして総合商社株。

私は仕事柄、総合商社という会社がどのような事業をしているのか、一般の投資家よりは身近に感じていました。

もちろん、自分が勤めている会社の未公表情報を使って投資するようなことは論外ですが、社会人として企業を見る中で、「大きな会社には大きな会社なりの強さがある」という感覚は持つようになっていました。

だから、よく分からない小さな会社で一発を狙うより、銀行や商社のような、簡単にはなくならないと思える企業にお金を置いておく。

当時の私は、それを一つの安心材料にしていたのだと思います。

ところが、この慎重な投資姿勢を大きく崩す時期がやってきます。

ITバブルで、お金に目がくらんだ

ITバブルです。

IT関連銘柄の株価が激しく動き、短期間で大きく上昇する企業が次々に現れました。

それまで大手企業を買って、少し上がったら売るという地味な投資をしていた私にも、欲が出ました。

「あの株を買っていれば、もっと儲かったのに」

「こんなに上がるなら、自分も乗った方がいいのではないか」

そんなことを考えるようになりました。

そして、いつの間にか、それまで自分が大切にしていたはずの、

「よく分からない会社には投資しない」

という原則を忘れていきました。

会社が何をしているのかもろくに理解しないまま、値動きだけを見てIT関連株を買う。

さらには、手元にある資金以上の取引ができる信用取引にも手を出しました。

完全に、お金に目がくらんでいたのだと思います。

結果は散々でした。

相場が逆方向に動き、ついには「追証」が発生しました。

追証とは、信用取引で損失が膨らみ、証券会社から追加の保証金を求められることです。

さらに状況が悪化し、持っていた株が強制的に反対売買されるところまでいきました。

自分が「売る」と判断したわけでもないのに、自分の株が勝手に処分されていく。

初めて経験する恐怖でした。

それまで少しずつ増やしてきた資金も、大きく減りました。

記憶では、手元に残った投資資金は200万~300万円程度だったと思います。

株式投資を始めた頃よりは増えていました。

しかし、毎日会社に行き、仕事をして、給料やボーナスの中から少しずつ貯めてきたお金です。

そのお金を、よく知りもしない会社への投資と、過大なリスクを取った信用取引で失ってしまった。

これは堪えました。

大きな会社なら破産しない、というのも間違い

その後JALが経営破綻し、私は1株2円で200株手放しました。

JALは日本のナショナルフラッグの航空会社です。まさか、国だって破綻させることなく救済くらいはするとは思ったのですが、なんと破綻してしまいました。

大きい会社はいい会社とかいい投資先とも必ずしもならないことを身につまされる思いで実感しました。

「儲けること」より「大切なお金を失わないこと」

この経験から学んだことは、今でも私の投資の根底にあります。

株式投資をしていると、どうしても「いくら儲かったか」に目が向きます。

しかし、その元になっているお金は、どこから来たのか。

私の場合は、毎日働いて得た給料です。

朝起きて会社に行き、仕事をして、その対価として受け取ったお金。

ボーナスが出れば、それを使わずに証券口座へ移してきました。

そのお金を大切にしなければいけない。

当たり前のことなのですが、ITバブルの熱狂の中で、私は一度それを忘れてしまいました。

そしてもう一つ学んだのが、相場が上がっているときほど、自分が投資上手になったと勘違いしやすいということです。

株価が上がっていると、多少無茶な投資をしても利益が出ます。

すると、それが相場のおかげなのか、自分の実力なのか、分からなくなってくる。

もっと儲けたい。

もっと早く増やしたい。

そう思い始めると、いつの間にかリスクを大きくしてしまいます。

私自身がまさにそうでした。

このときの失敗については、別の記事で詳しく書こうと思います。

今振り返れば、この痛い経験があったからこそ、その後の私の投資は少しずつ変わっていきました。

早く儲けることより、長く市場に居続けること。

値動きを追いかけることより、自分が何を買っているのかを考えること。

そして何より、

相場がどんな状況になっても、冷静さを失わないこと。

億単位の資産にたどり着く道を振り返ると、華々しい成功よりも、こうした失敗の方が、その後の資産形成に大きな影響を与えたように思います。

失敗のあと、資金を「倒産しにくい会社」に寄せた

ITバブルと信用取引で痛い目を見たあと、私は投資のやり方を大きく変えました。

残った株と現金を、できるだけ「倒産するとは考えにくい会社」に寄せるようになったのです。

その中心になったのが、財閥系の総合商社でした。

理由はいくつかあります。

配当がある。

PERやPBRで見ても割安に見える。

そして何より、簡単にはなくならないと思える規模と事業基盤がある。

当時、総合商社株は「コングロマリット・ディスカウントで株価が上がりにくい」とよく言われていました。

さまざまな事業を抱えているため企業価値が分かりにくく、市場から高く評価されにくい、という見方です。

それでも私は、総合商社そのものに魅力を感じていました。

日本の難関大学を卒業した学生たちが、厳しい就職活動を経て入ってくる業界です。

もちろん、学歴だけで会社の価値が決まるわけではありません。

それでも私は今でも、企業というものは最終的には人材がつくるものだと考えています。

優秀な人材が集まり、世界中で事業をつくり、リスクを取りながら利益を生み出していく。

そういう会社なら、短期的に株価が低迷しても、長い目で見れば利益を積み上げていけるのではないか。

そんな考えで、資金を置くようになりました。

そして、しばらくほとんど売買せず放置していた

面白いことに、その後の私は、株をほとんど売買していません。

言ってしまえば、放置です。

仕事もだんだん忙しくなり、毎日株価を見るような時間もなくなっていきました。

ただ、投資先の会社から送られてくる報告書には目を通していました。

業績がおかしくなっていないか。

経営に重大な問題が起きていないか。

企業そのものに異常事態が発生していないか。

確認するのは、その程度です。

株価が毎日何%上がったか、下がったかを気にするよりも、会社そのものが問題なく前に進んでいるかを見る。

投資との付き合い方が、少しずつ変わっていきました。

貯金ではなく「貯株」

一方で、給与から出る余剰資金やボーナス、そして受け取った配当金は、また株式に回していきました。

それも、できるだけ安定した企業へ。

当時の日経平均は、今のように右肩上がりで上昇していく時代ではありませんでした。

株を買ったからといって、すぐに値上がりするわけでもない。

何年経っても株価があまり変わらないことも珍しくありません。

それでも私は、

「会社が利益を出し続けているなら、剰余金は積み上がっていく」

「配当も受け取れる」

「企業価値が高まれば、いつか株価もついてくるだろう」

くらいに考えていました。

感覚としては、貯金ではなく「貯株」です。

銀行口座にお金を積み上げる代わりに、良いと思う会社の株を少しずつ積み上げていく。

毎年ボーナスが入れば株を買う。

配当を受け取れば、また株を買う。

株価がすぐ上がらなくても、それほど気にしない。

結果として、この地味な繰り返しが長い時間をかけて大きな違いを生むことになります。

私にとって株式投資の魅力は「売買」ではなかった

今振り返ってみると、私は株式投資の「売買」そのものには、それほど強い魅力を感じていなかったのかもしれません。

株を買う。

その会社から報告書が届く。

新しい事業が始まる。

利益が増える。

配当が増える。

そうした企業の成長を見ることの方が楽しかった。

株主になるということは、その企業のほんの小さな一部分ではありますが、所有者になるということでもあります。

自分が投資した企業が成長していく。

その成果の一部を配当として受け取る。

そして、その配当をまた別の企業の株に変えていく。

私は、この循環が好きでした。

だから投資するときも、「いくら上がったら売ろう」と考えることは、だんだん少なくなっていきました。

むしろ、

「この会社を長く持っていて大丈夫か」

ということの方が重要になりました。

売買で利益を積み重ねるのではなく、良い会社の株を少しずつ増やして、長く持つ。

今の私の投資スタイルの原型は、この頃にできたのだと思います。

振り返れば、億単位の資産に近づいていった最大の転機は、何か特別な銘柄を当てたことではありませんでした。

頻繁に売買することをやめたこと。

そして、

良いと思う企業に、お金と時間を預けるようになったこと。

そこからだったように思います。

そして、海外駐在へ

30万円台から1億円までの道のり

そんな投資を続けているうちに、仕事で2014年海外駐在することになりました。

駐在に出る頃には、株式資産はおそらく2,000万~3,000万円程度になっていたと思います。

30万円台から始め、一度は信用取引で大きく失敗し、それでもボーナスや配当金を少しずつ株に変えてきた。

振り返れば、ここまで来るにもかなりの時間がかかっています。

ただ、その頃も「いつまでに1億円にしよう」といった明確な目標を持っていたわけではありません。

株は株。

仕事は仕事。

余ったお金があれば、良いと思う会社の株を買う。

そのくらいの感覚でした。

7年間、株を売買しなかった

海外駐在中、私は非居住者となり、証券口座で株式を自由に売買できる環境ではありませんでした。

そのため、駐在していた約7年間、株式の売買は一切していません。

今考えると、これは私の投資人生において非常に大きな意味を持っていたのかもしれません。

株価を見て、

「上がったから売ろう」

「下がったから怖い」

「もっと良さそうな株に乗り換えよう」

と考える機会そのものがなくなったからです。

持っている株は、そのまま。

会社が事業を続け、利益を上げ、配当を出してくれるのを待つ。

結果として、かなり長い期間、私は強制的に「長期投資家」になりました。

もちろん当時は、そんなことを意識していたわけではありません。

仕事をして、現地で生活する。

それだけで日々は過ぎていきました。

お金を使わない海外生活

駐在先には、いわゆる僻地と呼べるような場所もありました。

日本にいるときのように、休日に気軽に買い物へ行ったり、欲しいものを次々に買ったりするような環境でもありません。

結果として、お金をあまり使わない生活になりました。

当時の私は、

「この生活が将来の投資資金になる」

などと考えていたわけではありません。

ただ仕事をして、生活していただけです。

しかし後から振り返ると、この期間に使わずに残ったお金が、帰国後の大きな種銭になりました。

資産形成では、どうしても「どの株を買えば儲かるか」に目が向きます。

でも実際には、

どれだけ稼ぐか。

どれだけ使わずに残すか。

そして、そのお金をどれだけ長く市場に置いておけるか。

この三つも、銘柄選びと同じくらい重要なのだと思います。

気がつけば、1億円

2020年。

新型コロナウイルスが世界中に広がり始めた頃、私は日本に帰国しました。

約7年ぶりの日本です。

帰国して改めて自分の資産を確認すると、保有していた株式と海外駐在中に貯まった現金を合わせれば、1億円ほどになっていました。

もちろん、すべてが株式投資の利益で増えたわけではありません。

長年の給与からの蓄積もあります。

海外駐在中に使わずに残ったお金もあります。

配当もあります。

そして、その間に企業そのものが成長したことで増えた株式価値もあります。

いろいろなものが積み重なった結果でした。

不思議なことに、

「ついに1億円を達成した」

という大きな感動があったわけでもありません。

そもそも私は、1億円という数字をゴールとして投資していたわけではなかったからです。

気がついたら、そこにいた。

そんな感覚の方が近かったと思います。

億への一番の近道は、急がないことだったのかもしれない

30万円台から始まった株式投資。

少し上がれば売る。

ITバブルで欲を出す。

信用取引で失敗する。

残ったお金を大企業の株に移す。

ボーナスを入れる。

配当をまた株に変える。

そして海外へ行き、7年間ほとんど何もしない。

こうして並べてみると、実に地味です。

「この銘柄で100倍になった」という話もありません。

短期間で資産を急増させた時期もありません。

むしろ途中では、大きな失敗までしています。

それでも市場から退場せず、また地道な投資に戻り、長い時間をかけて資産を積み上げてきました。

今振り返って、「1億円を作るために何をしたのか」と聞かれても、特別なことはあまり思い浮かびません。

働く。

余ったお金を株に変える。

配当を受け取る。

良いと思った会社を簡単には売らない。

そして待つ。

結局、私にとって重要だったのは、銘柄を次々に当てる能力よりも、時間と忍耐、そして相場の中で冷静さを失わないことだったように思います。

皮肉なことですが、

億への一番の近道は、急いで億を目指さないことだったのかもしれません。

2020年の帰国を境に、私の投資はここからまた大きく変わっていくことになります。

それは、また別の記事で書いてみたいと思います。

奥野以道

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